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暮らしに必要なものは家も食べ物もすべて自分で作る!

2017年10月11日

アチュー・ワークス

暮らしに必要なものは家も食べ物もすべて自分で作る!

最強セルフビルダー本山早穂#1

暮らしに必要なものは家も食べ物もすべて自分で作る!


何かに夢中になって取り組む女性を「◯◯女子」と呼ぶフォーマットが市民権を得て久しいが、そんな括りでは到底包摂しきれない女性が九州にいる。本山早穂さんがその人。佐賀県の山村に格安で土地を買い、たった独りでプール付きの家をセルフビルドした女性だ。聞き手は平屋フリークのアラタ・クールハンド。


この家はすべて本山さんがたった独りで造り上げた。施工方法が判らない部分はインターネットで調べたり、熟練者のところに直に出向いたりして学んだという。


幼少期から「暮らすこと」に興味が強く、お絵描きの対象はカワイイ女の子やお花ではなく間取り図。進学校に通いながらも大学進学を放棄、「ならば手に職を持て」という母親のアドバイスに従って一旦は美容師を目指す。しかし生きる手応えを得られず、真の「やりたいこと」を考え直すため一旦生活をリセットする。そして昼はCADオペレーター、夜はクラブホステスやキャバ嬢と生活基盤をダブルヘッダーにシフト。その合間を縫ってさまざまな経験をしに国内外を飛び回るというハードな生活を始める。インドへ渡って児童養護施設でボランティアをしたり、オーストラリアで住み込み家政婦をしたり、日本の過疎化した町に行き農業や漁業に従事したりと、あたかも生きる道を消去法で探し出そうとするような東奔西走の青春期を送る。


そんな中、出会ったのが自然農法だった。それは幼少時代に自然の仕組みにひどく感動したことを思い出させてくれた。そして大人になったら自分で家を建て、畑を耕し、自然の摂理に沿った暮らしがしたいと考えていた記憶も呼び戻してくれたのだった。これをきっかけに再び本山さんは動き始める。夢を実現させる地を求め軽バンに布団を積み込み、日本縦断の旅を敢行したのだ。旅によって得た解答は「どこで暮らすか」よりも「どう暮らすか」なのではないかということだった。そしてそれについて強く考えるようになったのである。


再び九州に戻って来ると、今度は土地を借り自給自足を試す。そして数年後、夜の仕事などでコツコツと貯めたお金で格安の土地を購入し、職業訓練学校に通ってセルフビルドで家を建て現在に至る。これまで自身でリノベートしたり改装したりという女性とは何人となく出会ってきたが、単独で建てたという人は初。しかも男性でも思い当たるのはひとり。更にこんな経歴の持ち主ともなるともう本山さんしか見あたらない。

L字型に建てられた母屋。引き戸や窓を始め、使われている建材や建具のほとんどが廃材をリユースしたもの。

白壁はストローベイルという工法で施工した部分。在来工法の骨組みに断熱材として藁のブロックが積んである。それに荒壁→中塗り→砂漆喰→漆喰の順で塗り仕上げた物。家が朽ちたときも自然分解され土に返る。

冬暖かく夏涼しいルーフ・プランティングも工法を勉強し自らで施工。


彼女を知るきっかけは『アイム・ミニマリスト』(三栄書房)という本に掲載されていた独特なシルエットの家に眼が留まったことに端を発する。それは同書に載る他の家の佇まいとは明らかに一線を画し、私の感性に強く触れてきた。これは誰かのセオリーに則って造られたものではない。なにかはっきりとしたオリジナルな感性を持っていないと建てられないフォルムだ。女性が建てたものと知って更に瞠目。いったいどんな人物なのかと激しい興味に突き動かされ、彼女の章だけ一気に読んだ。年齢は一回りほど違うが一言一言に強く共感。彼女の遍歴を始め、考え方、志向、生きる姿勢にただならぬ親近感を覚えた。「この人、俺に似ているなあ」としみじみ感じ入ってしまい、とにかく一度会わねばという強い使命感が頭をもたげた。執筆した《ヤドカリ》のお二人に連絡を取り、仲介してもらってほどなく訪問が叶った。そして《ヤドカリ》のお二人に再び取材オファーの許可を取って(他者がすでに取材したものを見て取材するとき、最初の書き手に“ことわり”を入れるのはマナーと心得ている)拙著『FLAT HOUSE LIFE in KYUSHU』(辰巳出版)でも彼女の家を紹介した。しかし読み返すうちにやはり本山さん自身にもしっかりフォーカスしてみたくなり、改めてインタビューを申し込んだという次第。なので当連載では家よりも彼女の過去、現在、そしてこれからについてを重点に置き綴ってゆく。

先ずは拙著掲載の彼女のページを見ながら歓談。FLAT HOUSEの話題でウォーミングアップ。


実は彼女、この春に双子を出産しており、体力的にも時間的にも再取材できるか懸念された。しかもこの猛暑。しかし到着してみればそんな心配を他所に至って元気。まるで母親が二人いるかのように献身的なご主人の「逆・内助の功」もあって、涼し気な顔でつつがなく健やかに夏日を過ごしていた。さすがは「本山早穂」。挨拶もそこそこに、雑談からインタビューに突入。

空間デザインの意識がすでにあった幼少期

福岡県福岡市早良区に第二子長女として生まれる。会社員の父親と小学生向け学習雑誌を販売するいわゆる“学研のおばちゃん”をしていた母親、そして兄の4人家族。家族構成もポジションも筆者と同じである。幼少時代は屋外で遊ぶのも大好きな反面、屋内で何か作ったり絵を描いたりすることも大好きな子供だった。これも一緒。筆者も大学教授の息子の同級生宅の庭に生えた大きな木に登ってそこでおやつを食べるのと、ホチキスで中綴じしたマンガ同人誌を籠って編むのが大好きだった。どんな子供だったかという問いに「ただのクソガキでした」と笑って振り返るが(これは唯一違います笑)住宅や建築に目覚めたのはこの頃だったとも述懐。自邸を建てたいという願望の芽生えた3歳児……クソガキというよりかなりなマセガキである。


「おじいちゃんと木造家屋を建てている建築現場に行って木っ端を分けてもらい、それを使って額縁や椅子を作ってましたね。それをどんなふうに部屋に飾ろうかな~なんてことを考えながら」



生まれて3年で空間デザインという意識があったというわけか。もはや絶句。

間取り図を描いた小学生時代

小学校に上がっても同級生たちが夢中になっていた『りぼん』やら『なかよし』やらといった、当世代の少女マンガにはまったく食指が動かなかったのは相変わらず。


「それよりもLEGOで遊ぶのが好きでした。もっぱら家ばかり造ってましたね」


おお! マンガには夢中になっていたものの、LEGO好きというところや造るものが家や街だったところも筆者と同じだ。小3のとき小遣いで消防車のキットを買ったのも、ドアやハシゴや回転するパーツが家を造る時に使えそうだったからだった。


「3年生くらいのころはひとりで家具屋さん巡りをしてました。特にお盆になると友達は軒並み親戚の家に行っちゃうから、夏休みには頻繁にしてましたね。自転車で室見川のそばにあった『中村家具』や『カワムラ家具』なんていう家具屋さんを廻るんです。もちろん買うことはできないので見るだけなんですけど(笑)」


そして脳内を好みの家具でいっぱいにして帰宅し、家に着くなりその妄想を一気に放出させて部屋の模様替えをしていたという。こういう脳内バーチャル的な遊び方っていうのはどうも男のコ的なような気がするのだが、その辺もいわゆるカワイイものに直情的な同年代の女の子たちとは違っていたようだ。そして高学年になるとかなりしっかりした間取り図を描き始める。

建物の中央は吹き抜け、池付きの中庭がある。菜園や乗馬場、テニスコートなどなど本山少女の脳内を見ているようで楽しい。 

「コワーキングスペース」のような複数人が集まれるような部屋が出現。先取りしている。また、音を出せるようなスペースや唯一着彩されているパターゴルフコースなども。興味の対象が大人びてきた(笑)

ついにコラージュという手法へ移行。広告かなにかから素材を取って来たのだろう。初期の楽しさは薄れたものの、よりリアルな間取り図にしたいという成長が伺える。


これらはほんの一部で、こんな画をさらさらと描いていた少女時代の本山さん。見方によれば非常に早熟ともいえるが、じゃあ大学生になったらこんな間取り図を描くのかといえばそういうことでもなかろう。講義の課題でもない限り、進んでこんな図面を何枚も描く女子大生も想像しづらい。これは彼女特有の人生に対する姿勢がこの時代からしっかりと形成されていたというほかはない。自己の将来に対する強いモチベーションと、自分はこうなってゆきたい、こうある予定だ、という青写真がしっかり脳内に焼かれていたことがこれらから見て取れる。おそらくこんな小学生は当時全国どこを探してもいなかっただろうし、今もいないのだろう。



あまりものごとに夢中になれなかった中学生時代

中学生に上がる時期というのは、身体の変化にも伴ってそれまで自分がしてきた遊びや習慣などを一旦リセットする季節でもある。こんな遊びはもうガキっぽい、古い、こんなモノを欲しがるなんてもう恥ずかしいといった「小学生までの行いに対しての見直し」が始まり、“脱皮”をし出すのが一般的。筆者もこの頃から読むマンガが大幅に変わった。それまでは赤塚不二夫や藤子不二雄などのギャグマンガを中心に読んでいたが、中一になった頃は青林堂の『ガロ』や青年マンガ誌などを古本屋に行って読み漁るようになっていた。また、音楽も歌謡曲からニューミュージックやフォーク、そして洋楽なんぞを聴くようになっていった記憶だ。

しかしここで決裂、中学に上がって小学生から何か大きく変わったというような記憶は特にありませんと本山さんは述懐する。意外である。


「あ、ゲームは好きでやってましたよ。スーパーファミコンが出た頃でしたからね。マリオが好きだったのでマリオカートとかよくやりました」


うーん……これも意外だ。しかしこういう部分は普通インタビューでは話さない、むしろ隠したいような過去であろうはずなのに、気前よく全て語ってくれるのがまた彼女である。


「それからそろそろファッションに興味が出てきていましたね。内田有紀なんかがアイコンで、彼女に憧れるコが周囲にたくさんいたような時代です」


少し遠い目をしながら赤ちゃんを抱え直す本山さん。どうやらこれまでの神がかり的だった本山少女も、ここで一旦「一回休み」をし凡庸な中学生として周囲に足並みを揃えたようだ。なるほど、「人生往って来い」というわけか。まあそれが普通の中学生だろうと、スタッフ一同しばし黙して和んだ。蝉の鳴き声がとたんに耳に飛び込んできた。と、ひと息ついたのも束の間、本山さんが口を開いた。


「そう、中学1年の頃『田舎暮らしの本』(宝島社)という雑誌が書店に並び始めてあれをよく読んでましたね」


きたきた! そう来なくっちゃ。すでに社会人だったが筆者もよく読んでいた(ほぼ立ち読みだったけど)。


「で、巻末に田舎の土地や古家の売買ページがあったじゃないですか。あれを毎号真剣に見てました」モノクロページながら妄想膨らむ人気のページだった。「新聞の折り込みにマンション広告が入ってると、一部屋1千万とか2千万とか値段が付いてるでしょ。でもあのページの物件は家一棟で200万とか300万とかなんで、こっちなら手が届きそうだなと思って」


えーっ! 手が届く?? 中1で??


「よし、バイトして買うか! なんて本気で思いながら見てました」


ここでカメラマンも含めたスタッフ一同がどよめいた。さすがに一般的な13、14の子供が数百万の額を「稼げそう」とも「それで家を買おう」とも思わない。それこそ筆者など古本屋でマンガを立ち読みしていた頃で、サイフの中に3千円もあれば何でも買えるくらいに思えていたような年代だ。さすがにこのときは超が付く「早熟」だと認めざるを得なかった。


「とにかく早く家を出たかったんでしょうね。それが幼少期から根っこにあったんだと思います」


おそるべし本山少女。

さて、次回は高校生から卒業後の体験期までのお話。間取り図を描き、田舎の古家購入を考えた本山少女がいったいどのようにメタモルフォーゼし世界へ飛び出していったのか、再び驚きの連続。乞うご期待!


(取材・文:アラタ・クールハンド)

最終更新日:2017年10月11日


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