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どこかへ定住してその土地を温める暮らしをしたい

2017年11月30日

アチュー・ワークス

どこかへ定住してその土地を温める暮らしをしたい

最強セルフビルダー本山早穂#3

どこかへ定住してその土地を温める暮らしをしたい


のちにたったひとりでプール付き平屋を建ててしまう本山さんも成人になり、一旦はファッションの現場に触れるために東京へ移り住む。しかしその興味も一段落、大都会を抜け出して群馬県のこんにゃく芋農場で働き出す。彼女はそこで出会ったひとりの放浪者から話を聴くうちに自分が本当にやりたかったことを思い出させられる。それは幼少時代に強く関心を持った「自然の摂理」。自分はその中でこそ生きたかったのだということ。ついに確信を持った本山さんの背中に羽が生え出した。

国内での放浪

23歳となった本山さんは、群馬県のこんにゃく芋農家で出会った放浪者との会話ですっかり開眼し、そこから30歳手前までの数年間は全国を放浪する時代となる。次に目指したのは小笠原諸島の父島。やはり短期労働者として移って来た人々と宿屋のヘルパーとして2ヶ月間の住み込み労働を始める。しかし、一日働いて千円という超の付く薄給。

アラタ 「自然の摂理の中で~」と開眼したはずなのに、なぜ日給千円の小笠原へ?


本山 放浪中に出会った友人が、仕事を辞めたいから代わって欲しいというので引き受けたんです。一旦福岡に帰って来ていたんですけどね。しかも貨物船で渡りました(笑)。私はあまり物事を深く考えて動くタイプではないのかも。なりゆきが多いんです。


アラタ なるほど~気付いたとはいえ、まだあまり意識付けははっきりとしていなかったのかな(笑)まあ、あまり深く考え過ぎるとニンゲン好機を逸するものですからね。ときにインスピレーションや運に任せることも必要だと思います。小笠原ではどんな暮らしを?


本山 何を計画するでもなく、本を読んだり、海に潜ったり、ウクレレを弾いたり踊ったり、宴会をしたり、夕陽や満天の星空を見たり、一日一日をじっくり過ごしました。ただ、小笠原は正に東洋のガラパゴスという感じで最初の印象は怖いものでした。人間のいない世界で、とにかく大自然。地球とは本来ほとんどがこういう場所なのだと感じました。そしてまだ戦争の爪痕が生々しくて、昼間でも怖い場所がたくさんありましたね。


そういう小笠原での実体験が、本山さんに自然の摂理で暮らすことに再び確信をもたらしたのかもしれない。

寒村で働いて見たもの

そして26歳の頃、今度は進路を北に取り一路北海道へ。繁忙期を迎える秋鮭の解体工場で働く。日給は1万円に届かない程度。


アラタ そして今度は北海道ですか。また随分と北に舵を切りましたね。どういう経緯?


本山 これは群馬のこんにゃく芋農家で一緒に働いた女性に勧められたんです。小笠原とはまた違った意味で“もうひとつの日本”という感じでした。こんな場所があったのかという…普通に生きていたら知らない世界っていうのは、本当にたくさんあるものだなと実感しました。


アラタ 九州と北海道は対照的でもあることからよく比較されますが、似ている部分と真逆の部分と両方ありますよね。気候然り人間然り、驚きの連続だったでしょう。確かに日本にはいろいろな風土や文化があるのに、どうも僕らは名産品を食べた程度で、すべて知ったような気になっていますよね。

北海道の鮭解体工場


本山
 特に北海道は自然が本当に美しくて、目にするまではここまでとは思いませんでした。で、そこでの寮生活も本当に楽しかったんですよね。まるで大家族で暮らしているみたいで。私たちは就職もせずにふらふらしてる若者という眼で見られていたかもしれませんが、誰も来たがらない過疎村の「聖なる第一次産業」を、全国の旅する若者が支えていたという印象です。結局は極限の地でこういうふうに頑張っている人間がいるからこそ、都市で暮らすみんなも美味しいものが食べられるんじゃないのかと。働きながらそんなふうに思いました。


アラタ それは貴重な発見だと思います。正社員=真っ当な人間、そうでない者は敗者か準・敗者のような見方がまだこの社会には根強くありますから。しかし、それは解釈幅の狭い見方であり今や時代錯誤な見解。さまざまな職や働き方があって世界が形成されているのに、未だネクタイを締めてビルに通うことこそ王道と考えるというのはジツに稚拙な社会だと思います。その次は愛媛に行くんでしたよね?


本山 はい、愛媛県の八幡浜。これも流れでです(笑)。北海道の職場からほとんどの人が愛媛のみかん農家に流れていきました。九州に帰る途中だったので、私も帰りがけだからと一緒に行くことにしたんです。主にみかんの収穫の仕事でしたが、とても楽しかった。はじめてみかん畑を見たときはおとぎの国に迷い込んだかと思いましたね(笑)


アラタ これから過酷な肉体労働が待っているというのに、そんなふうに見られたというのはまた素敵(笑)。でも鮭工場といい、仕事自体は大変だったのでは?


本山 大変さや苦労というのは感じませんでした。自分で選んでいったわけですし。判ったんですよね、どこに行ってもどんな洋服で身を纏っていても人間の世界というのは同じであり、自分が一緒なら一緒なんだということが。同じところにいても自分が変化すれば周囲に違った世界を見せられるはず、と。みかん農家だけで感じ取ったわけではありませんが、二十代から旅してきてなんとなく思っていたことがここではっきりしたんです。


アラタ ちょっと解釈が難しいけれど、なんとなく判ります。社会に対する意識が相対的なものから自己主体へとはっきり動いたんじゃないでしょうか。僕も会社を辞めてからの5年ほどの間いろんなアルバイトをやりましたが、あの時期を経てから自分が軸であることを常に意識できるようになった。これは小学校から就職まで、何の疑いも持たずシフトしていった大多数の人たちには判り辛い感覚です。僕はあの5年間が会社生活ですっかり痩せ細った自己の根幹部分を、次のやるべきことのために鍛え直すための時期だったと思っています。そしてまだ続くんですよね放浪は?


本山 はい、次は与那国島です。サトウキビ畑の仕事をしに行きました。

現在建築中の2号棟からは近い将来耕す農地が臨める。


アラタ
 また随分南下しましたね(笑)


本山 ええ、これも流れで(笑)みんなみかん農園が終わると次は概ね沖縄のどこかの離島へと渡るんです。なので、北海道にいても愛媛にいても沖縄にいても、顔ぶれは似たり寄ったり(笑)。一連の流れを見てみたかったからなのか、友人がみんな行くからか、寒いのが苦手だからなのか。なぜだかみんなずっと一緒だったんですよ。


アラタ ああーそういうコミュニティの中にいる友人、いましたよ。東京のJR中央線沿線に住む知人にそんなカンジの人が大勢いた。みんな仕事も愛好する音楽も一緒で連帯感が強い。ジプシーやヒッピー的(笑)。でも本山さんはなにかしっかりした意識が根っこにあっての動きだったから、彼らともちょっと違う。しかしそういう「流れ」があることを初めて知りましたよ。で、与那国島は?


本山 26歳になっていましたが、日給がやはりそう高くなく5千円程度だったかな。最初にインドへ旅に出てからほとんど旅する生活でしたが、このあたりで当初から芽生えていた「どこかへ定住してその土地を温める暮らしをしたい」といううっすらとした思いが本格的になってきたんじゃなかったかと。


アラタ 「自然の摂理の中で暮らしたい」という大命題に「定住して暮らしたい」というピースがここでようやくくっつくわけですね。長かったなあー(笑)

2号棟の上階で東西2名の古家好きが「同意」の嵐。背後の木製窓は近隣の牛舎が解体される時に救ってきたもの。 

故郷に戻る

そして福岡に戻った本山さんは自然農の研修生となる。

本山 27歳の頃だったかと。でも 「ナチュラルな暮らし」を目指すと、どうも極端に思想をチェンジする人がいるんですよ。けど、やっぱり何事もバランスが大事なんじゃないかと。そこ(自然)ばかりに気が行っていると他のことが一切目に入らなくなってしまったりと。何事もムキにならずに生きるのが一番だなあということをこのとき感じましたね。


アラタ 農法のことよりも社会学を学んだ感じですね。確かにそういう場所に行くと真っ直ぐ過ぎるような人がいそう(笑)。ときに原理主義的になってしまうんじゃないかな、自然農法をやる現場なんかでは。僕にも周囲にそういう人がいた時期がありますね。で、今度は反面教師になっちゃうそういう人が。


本山 そして自分のフィールドづくりをする前に、今度は日本という国をしっかり旅したくなったんですよね。それで軽自動車のバンに布団を積んで日本縦断を試みたんです。


アラタ ここでまた以前の生活へリトリートしちゃうんだね(笑)


本山 一度クルマで気ままに旅をするという冒険をやってみたかったんです。どっしり落ち着くのはそれからだと。でもただ無計画に走るのでなく、有機農家を訪れることを主眼に置きました。でもこの旅ではまるで「ファミリー」がテーマかのごとく、出会う人々はみんな幸せな家族やカップルばかりで。彼らに煽られるように「早く帰って私も落ち着きたい~」と強く思った記憶があります。

最後の放浪で見たもの

アラタ でもそのあとは南米へ旅に行っちゃうんですよね(笑)どこへ行ったんですか?


本山 アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルーを歩きました。落ち着く前に最後の旅をしておこうと思って。


アラタ いよいよこの放浪生活を締めくくる時が来たと(笑)。なにか収穫は?


本山 最初降り立ったアルゼンチンは、飛行機から見た景色がおもちゃのジオラマのようで「可愛い国」の印象。どこの国もそんな感じでしたが、ペルーの街並がすごくよかった。田舎が大半で日本のような高い建物は少なく、小さくて簡素なんだけど家それぞれが魅力的で。家主が自分で建てたように見える家が本当に多いんですよ。土地は石ころを並べて仕切られているんです。塀なんかない。

アルゼンチンの川べりに建つ集落はすべてが平屋。こんな場所でしばらく暮らしてみたい。比較的裕福な世帯なのだろうか、左の家は屋根にソーラーパネルが見える。

こちらは草原の集落。平屋のフォルムも去ることながら、チョコレートで造られたような色合いがなんとも可愛らしい。本来家とは斯くあるべき。 


アラタ
 そこでもうすでに建物を見ていたんですね。僕も生まれて初めて行った海外の英国では、ヒースロー空港から乗った地下鉄が途中から地上に上がる時にレンガ造りの建物の連続がわぁーっと眼に飛び込んできたんだけど、あれにはつい声を上げちゃった。今でもあの車窓の景色が強烈に脳に焼き付いてます。で、どこを歩いても古い石造りの建物をみんなが普通使いしている。エスカレーターのステップが木製だったりね。そんな街並の中で過ごすうちに、何でこんなに日本と違うんだろうと。段々やりきれなくなってきてね。


本山 そう、同じ時代に生きているのに全然違う。この人たちは住宅ローンを何十年も支払い続けたりはしていないんだろうって確信しましたね!

藁で造られた商店街。ジツにピースフルな風景である。

建物も和やかならば人々の表情も和やか。建物の質感や雰囲気は、そこに訪れる人の心に必ず反映する。


アラタ
 日本人は薄っぺらな住宅のために法外な金額を払わされてるんじゃないかと思いますよ、海外の街を歩いてると。なのにあんな街並を見てもそこに何の疑いも持たない。従順というか思考が止まってるというか、ワレワレはしっかり教育されちゃってるんだなあと思います。


本山 この家でいったいどんな暮らしをしているのだろうということばかり考えちゃうんですよ。このあともどの国に行っても家や暮らしばかりが気になる。せっかく地球の裏側まで行ったというのに、もう早く帰って自分の夢を叶えたくなっちゃって。


アラタ もう準備は出来た! と。


結婚、出産、セルフビルド

本山 そこからは本当に早かった。帰国後福岡市内で農業を始めながら自分の土地を探し、30歳で現在の土地を購入しました。競売物件で100万ちょっと。無借金で買えたんですが、肝心な家の建て方が判らず(笑)


アラタ 勇み足(笑)。でもローンを組んだわけでもないし、ちょっと順序が入れ違っただけじゃない?


本山 せっかく建てるなら日本の木組みの家が建てたいと、仕事を辞めて職業訓練校の総合建築科へ通いました。学校に通いながら冬休みに最初の家を建て始めたんです。卒業後は工務店で大工見習いをしながら別の職業訓練校の木造建築科で一年建築を学びました。


アラタ すごいなあ~エンジンのかかり方が違うんですよね本山さんは。しかも瞬発力もスタミナも両方ある。

建築作業中の本山さん。このスナップを見れば「○○女子」といった軽々な呼び方は、彼女には相応しからずということがお分かり頂けるはず。


本山
 そこから夜の仕事もし、36歳のときに母屋建築にとりかかりました。ひょんなことから建築関係に就職することになり、夜の仕事は辞めて休日に家作りをするという生活になりました。その暮らしが今も続いているという状態ですね。


そして知り合いの伝で手伝いに来てくれた土橋清さんと知り合い結婚。今春、双子のママになった。

現在は母屋の横の土地に木造の二階建てを建築中。こちらも本山さんの腕2本では足りないところ以外は彼女ひとりで作ってきた。が、出産後はご主人の清さんも参戦。現在外壁はほぼ出来上がり、内装も6割がたが終わっている。子育てに奮闘しながらも、青写真の実現は着々と進んでいる印象。

2号棟から見た住居の平屋。双方どちらからも自分が作った建物が臨めるとはジツに羨ましい環境である。

東側に開けられた2対の跳ね上げ窓から良い風が舞い込んでくる。 

これからの本山ファミリー

完成後はここをゲストハウスにし、大工仕事のワークショップや飲食店なども同時に運営してゆくつもりだという。また、その隣の土地では自然農法で作物も育てる予定で、農業体験をしたい人たちを泊めるためにも建物を活用するそう。

3回にわたりざっくりと本山さんの半生を見てきて、年齢も性別も生まれた土地も違うのに同じような思考で動く人というのがいるものだと改めて思った。自分の場合は特に、似た人というのにはなかなかお目にかからないタチ。趣味思考が近いことはあっても人生観に決定的に違う面があったり、生き方がまるで違っていることなどがもっぱら。しかし彼女はさまざまな面で酷似しており、相違点がほとんど見当たらない。南米の家々を見て「この中でどんな暮らしをしているのか」という部分に先ず気がいくところには強いシンパシーを覚えた。私も子供の頃から電車の車窓から見える家に、そんなことによく想いを巡らせていたものだ。特に新幹線の車窓から田畑の中の小さな集落を見かけたりすると、すぐそんなことに想像力を働かせていた。思うに、「思考の起点」が同じなのではないかと。ひとつのヴィジュアルを見て始まる想像の出発点の取り方が極めて似ているのだ。だから彼女の建てた家を一見した瞬間に、ただならぬインスピレーションを感じたのではないかと思う。


また、人生に対する時間の使い方や考え方には強く重なる。時にムダと思えるような寄り道・遠回りをしながらも、そこで拾ったサムシングを骨子に組み込んでじっくりと自分の考えに沿い人生を組み立てていく。これはやろうとしてしたものではなく、自然とそうなってしまったように感じる。多分それは自分の身にも憶えがあることだからなのだと思う。


とにもかくにも本山さんの生き方は、今後の日本人にとって新しいロールモデルとなり、ひとつの「救い」ともなるだろう。学歴や収入に拘らなくともよい。それらは本来人生の内容にさしたる影響を及ぼすものではないのである。それよりも重要なのは「いかに日々を楽しむか」なのだ。小学校から大学まで「とりあえず」と進学を重ねて就職、毎朝スシ詰め電車に揺られて通勤。組み立てキットのような家や家電製品のようなクルマのために多額のローンを組み、日々晩酌と週末だけを楽しみに定年までなんとか働いて払い切る~というスタイルが、いかに前時代的で不合理なものかを彼女の暮らしは教えてくれている。支払いにのために生きるのでなく、生きていることそのものを楽しむこと。それに尽きる。本山さんと住まいを見て、改めてその認識に自信を持った。

(取材・文:アラタ・クールハンド)

最終更新日:2017年11月30日


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