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秋刀魚が教えてくれる、実は田舎だった目黒区の歴史

2016年10月20日

中川 寛子

秋刀魚が教えてくれる、実は田舎だった目黒区の歴史

落語「目黒の秋刀魚」で知る歴史

秋刀魚が教えてくれる、実は田舎だった目黒区の歴史

江戸時代の目黒区は広大な原野だった

落語「目黒の秋刀魚」は江戸時代に殿様が郊外に鷹狩りに行き、その帰りに目黒の茶屋で脂ののった美味い秋刀魚を食べ、その旨さを思い出して殿中で秋刀魚を所望するものの、蒸して脂を落とした上品な調理の不味い秋刀魚にがっかり。「秋刀魚は目黒に限る」と仰ったという話だが、これにはモデルがある。

現在の茶屋坂。曲がりくねった細い急坂で傾斜が20度に及ぶ場所も


江戸時代の目黒エリアは葛西、岩渕、中野など近郊に6カ所あった将軍家の鷹場のひとつで、今も地名に残る碑文谷原、駒場野などはしばしば将軍が訪れた場所。その途中、目黒川の田道橋を渡り、恵比寿ガーデンプレイスに通ずる坂の途中(現在の目黒区三田二丁目辺り)に「爺々が茶屋」と呼ばれる、将軍お気に入りの茶屋があったという。茶屋の爺さんに親しく声をかけていた将軍の姿から秋刀魚を食べた話が創作されたのだろう。

安藤広重「名所江戸百景 目黒爺々が茶屋」(安政4年)出典:国立国会図書館デジタルコレクション


現在の茶屋坂も相当に急傾斜の曲がりくねった坂だが、往時は周囲に建物はなく、安藤広重の「名所江戸百景 目黒爺々が茶屋」で見ると、正面に富士山、眼下に田圃が広がるのどかな風景となっている。

目黒第一の繁華街は行楽地目黒不動

茶屋坂周辺に限らず、この当時の目黒区は基本江戸の外。江戸の範囲を示す、いわゆる朱引図はぎりぎり目黒川辺りまでを江戸としており、それ以遠は田畑が広がる農村だったのである。

江戸朱引図。右下の出っ張っている部分が目黒不動尊のあるあたり。出典:東京都公文書館


ところで、この朱引図で一か所、墨の線が明らかにはみ出している部分がある。これは町奉行の支配するエリアという意味で、はみ出し部分にあるのが目黒不動である。今の目黒不動は浅草寺や増上寺その他の寺社に比べると、それほど有名ではないが、江戸時代には日帰りで行ける一大行楽地として目黒区内で一番栄えていた場所。今の宝くじの起源と言われる富くじの勧進元(主催者)としても有名で、周囲には行楽客相手の料理屋などが多数並んでもいた。

今でも毎月28日には縁日が開かれ、賑わう目黒不動尊


その目黒不動の名物とされたのが筍。と聞くだけで、どれだけ当時の目黒区が田舎だったかが想定できる。筍は江戸時代に中国から伝わり、18世紀後半くらいには目黒区から品川区にかけて栽培されるようになっており、昭和初期まで名産品として知られていた。目黒式という独特の施肥方法があり、柔らかくておいしいと評判だったそうだが、残念ながら現在では味わう術はない。あちこちにあった竹林の様子は碑文谷三丁目にある「すずめのお宿緑地公園」でほんの少しだけ偲ぶことができる。

目黒発展の契機は鉄道開通と東京オリンピック

かつての目黒にはこうした竹林が広がり、のんびりした風景だった


そんな農村風景が大きく変わり出したきっかけは昭和に入ってから開通した大井町線、井の頭線など区内を走る4系統の鉄道。中でも昭和2年に現在の目黒区のほぼ中央を縦貫して一部開業した東横線は、このエリアを農村から住宅地へと一変させた。その後、昭和7年に東横線は桜木町までの全線が開通するのだが、この間に竹林は鉄道に場所を譲る形で減少。残された竹林も住宅に変わっていく。

ところで、この時期に住宅地としての目黒のイメージアップに大きな役割を果たしたのが学校の誘致だ。「学校がある=文教地区」というわけで、住宅地としてのイメージも価値も上がる。そのため、大正から昭和にかけて開発された住宅地は目黒に限らず、どこも競って学校を誘致した。好例が中央線の国立駅である。東急沿線では大岡山駅の東京工業大学、日吉駅の慶応義塾大学なども知られたところ。昔から東急はイメージ戦略が得意だったというわけだ。
目黒区の場合には学芸大学(当初は青山師範、後に第一師範、さらに学芸大学となり、昭和39年に小金井市に移転)、都立大学(府立高校の時点で移転、都立高校、都立大学となり平成3年に八王子市に移転)を誘致、移転後も学校名を駅名としている。また、自由が丘駅も同地にある自由ヶ丘学園高校にちなんで地名、駅名ともに改称されており、旧駅名は九品仏前駅(くほんぶつまえ)。難読駅名でもあり、もし、そのままだったとしたら、これほどまでに人気の街になることはなかっただろう。

桜並木で知られる碑文谷周辺。駅からは多少距離があるがファミリーには人気


もうひとつ、碑文谷、柿の木坂など、現在も人気のある住宅地が形作られたのは昭和39年の東京オリンピック、それ以降のモータリゼーション(自動車が生活必需品として普及する現象)の進展がベースになっている。環状七号線、国道246号線などが整備されたことで、こうした住宅地が評価されるようになったためだ。最近では中目黒駅前、目黒駅前の再開発も人気の要因になっているが、その分、住宅価格、賃料ともに高いのがこのエリアに住みたい人には辛いところだ。

最終更新日:2018年08月30日

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