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慶應、立教にホテル、活字、靴も築地生まれだった

2016年11月28日

中川 寛子

慶應、立教にホテル、活字、靴も築地生まれだった

築地と横浜、神戸の共通点って?

慶應、立教にホテル、活字、靴も築地生まれだった

立教、明治学院、暁星学園……、ミッション校は築地生まれ

このところのニュースのせいもあり、築地といえば魚市場と思われるが、実は築地は様々なモノが生まれた土地でもある。少し歩いただけで「●●発祥の地」という碑を見かける、そのワケを歴史からひも解いてみよう。

本願寺移転が築地誕生の契機となった。現在の建物は関東大震災後に建てられたものでインド様式。各種イベントを積極的に行っていることでも知られる


そもそも築地は埋立て地。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火(いわゆる振袖火事)で浅草にあった本願寺が焼失。その移転先として埋め立てられたのが築地の始まり。そもそも築地という言葉は「沼や海を埋め立てて築いた土地」という意味なのである。そこで建てられたのが、今も築地市場に隣接し、お寺としては石造りの不思議な建築で知られる築地本願寺。最近では婚活イベント(!)を行うなど、先取の精神のある寺である。
江戸時代には武家屋敷が並んでいた築地が大きく変化することになったのは、明治に入ってから。最初の大きな変化は、1869年(明治2年)に現在の明石町地域に居留地が設けられたこと。居留地とは1858年(安政5年)に欧米5カ国との間で結ばれた修好通商条約に基づき、条約締結国の外国人の居住や通商のための専用特別区を意味する。

明石小学校の前にある築地居留地の解説。この通り沿いにもミッション系スクール発祥の地の碑が点在している


築地居留地は商館の多かった横浜や神戸などと違い、外国公使館や領事館、海外からの宣教師、医師、教師などの知識人が多く居住し、教会や学校などを開いて教育を行っていた。その影響からこの地では多くの学校が生まれた。

左上から時計周りに立教大学、明治学院大学、関東学院、暁星学園の発祥の地の碑。立教大学は聖路加看護大学敷地内に、明学は聖路加タワー並びに、残りの2校は明石小学校脇の通り沿いにある


特に多いのはこの地の教会に由来するミッション系の学校で、聖路加看護大学の周辺を歩くと立教大学、明治学院大学、女子学院、暁星学園、関東学院大学などとあちこちの学校の発祥の地の碑を見ることができる。

慶應義塾は築地の中津藩屋敷で誕生した

同じ大学でも慶應義塾大学の場合にはちょっとワケが違う。碑は聖路加看護大学と道を挟んで向かい合った場所にあり、同じ場所には蘭学事始めの地という碑も。これはここにあった豊前国(現在の大分県)中津藩奥平家の屋敷からはじまったことを意味している。日本の近代医学を切り開いたと言われるオランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」は中津藩医だった前野良沢が杉田玄白らと一緒にこの地で翻訳したと言われる。それが蘭学事始めの意である。

慶應義塾発祥、蘭学の地はまとめて日本近代文化事始の地として掲示されている。聖路加看護大学前の一画で目立つ場所にある


そして、慶應義塾大学の創始者福沢諭吉も中津藩士。屋敷に開いた蘭学の塾が現在の大学に発展していったということで、創立100年を記念して1958年(昭和33年)に碑が建てられている。ただ、実際の屋敷は聖路加国際病院の構内にあったそうである。

築地市場は元庭園。海軍発祥の地でも

勝どき橋のたもとにある海軍経理学校の碑。築地市場からここまでの間には軍艦操練所跡の掲示もある


もうひとつ、明治に入ってこの地に置かれ、現在の築地に大きく影響を与えているのが海軍である。現在の築地市場のあった場所には、寛政の改革で知られる老中松平定信の広大な別邸があり、そこに1872年(明治5年)に海軍省が置かれたのである。当時は海軍大学校、海軍軍医学校、海軍造兵廠、海軍経理学校などといった施設が置かれ、海軍一色の町だったとか。今も海軍経理学校、海軍兵学寮跡、海軍軍医学校跡、軍艦操練所跡などといった碑が残されている。

近年は観光スポットとしても人気の築地市場。その場で食べられる海鮮などに人気が集まっている


そこに築地市場が移転してきたのは、1923年(大正12年)の関東大震災で日本橋の魚河岸などの市場が大打撃を受けたため。海軍省所有地を借りて臨時の市場を開設、その後、正式に移転したのである。

洋風ホテル、靴、活字に指紋研究も築地から

築地市場の近くにある「築地よりみち館」では築地の歴史をパネル展示しており、その昔の築地の様子を見て理解することができる。写真は築地ホテル館の紹介


これ以外にも築地で生まれたものは数多い。たとえば日本で最初の洋風ホテルは築地ホテル館。外国人宿泊者増を見込んで幕末の1868年(慶応4年)に開業したものの、それほど客足は伸びなかったようで、1872年(明治5年)に海軍の手に渡り、同年銀座で発生した大火で類焼。わずか4年ほどの営業で幕を閉じた。ちなみにこの建物を建設、海軍に渡るまでの経営を行っていたのが現在の清水建設の元となる清水組の二代目、清水喜助である。

左上から時計回りに指紋研究発祥、靴製造、電信、運上所それぞれの発祥の地の碑。区の案内版などを参考に探してみてはどうだろう


それ以外では靴、活字、電信、東京税関(当時は運上所と言われた)、東京商工会議所、検査業など。変わったところでは指紋研究などというものもある。これは居留地に住んでいた英国人医師ヘンリー・フォールズ邸跡に置かれているもので、この人は日本で行われていた指印(しいん。指に印肉などを付けて指形を押し、印判の代わりとする方法)に興味を持ち、土器に印象された古代人の指紋をヒントに科学的な指紋の研究を始めたのだとか。まさかそんなものが築地生まれとは、である。

古い木造住宅なども残された築地界隈。残念ながら建替え計画があったり、空き家になっている例も増えているようだ


様々なモノが生まれた築地だが、これまでは築地市場があったためか、築地はもちろん、明石町、湊辺りではあまり大きな開発が行われてこず、木造の古い民家なども多数残されてきた。ところが、市場移転が決定以降、開発計画が浮上、古い建物も取り壊されるケースが出ている。発祥の碑も含め、街並みを見に行くなら早いほうがお勧めだ。

最終更新日:2018年08月30日

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