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30年前は穴場。今は人気の「恵比寿」の変遷を見る

2019年08月13日

中川 寛子

30年前は穴場。今は人気の「恵比寿」の変遷を見る

盆踊りにべったら市もあるまち

30年前は穴場。今は人気の「恵比寿」の変遷を見る

恵比寿ガーデンプレイスの誕生が恵比寿が人気のまちになるきっかけとなりました。今でも多くの人を集めるまちのシンボル的な場所です

ビール醸造所が作ったまちの歴史

江戸時代の恵比寿は渋谷川と三田用水(みたようすい。世田谷区北沢から目黒区三田周辺を経て白金猿町まで流れていた用水路)に挟まれた農村地帯。恵比寿ガーデンプレイスの東側、恵比寿三丁目には宇和島藩主伊達氏(現在の愛媛県宇和島市)の下屋敷があり、現在でも伊達坂、伊達町会などの名称が残されています。


恵比寿の歴史を伝える伊達町会の掲示。かつてはここに大名の下屋敷があったのです


その恵比寿が変わり始めたのは1889(明治22)年に日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビールの前身)がこの地にビール専用醸造所を建設して以降。翌年には恵比寿ビールが発売され、1901(明治34)年にはビールを積み出すために専用の貨物駅・恵比寿停車場が開設されます。さらに醸造所周辺の人口が増えたことから1906(明治39)年には現在のJR恵比寿駅となる駅を開業させました。その後、1928(昭和3)年には周辺の地名が恵比寿に。商品名が駅名、地名になったのです。ちなみに商品名が恵比寿ビールに決まる前には大黒ビールという案もあったそうで、そちらが実現していたら恵比寿は大黒になっていたかもしれません。

 

恵比寿ガーデンプレイスの敷地の角に立つ煉瓦の柱はここにビール醸造所の正門があったことを記念するものです

醸造所移転、跡地が恵比寿ガーデンプレイスに

醸造所が作られた時点では郊外の畑や山林が広がる地だった恵比寿ですが、1964(昭和39)年には東京メトロ日比谷線が乗り入れるなど、徐々に周囲が都市化。ビールの需要拡大にも恵比寿では工場の増設は難しく、それ以外にも物流や環境などの問題も抱えていたこともあり、1980(昭和60)年くらいから工場移転が検討されるようになります。実際に移転、閉鎖されたのは1988年(昭和63)年です。


その後、工場跡地が1994年(平成6)年に恵比寿ガーデンプレイスとして生まれ変わり、それがきっかけとなって恵比寿は人気のまちに変わっていくのですが、それ以前は山手線内では狙い目、下町っぽい雰囲気のある穴場なまちと言われていました。

 

再開発で生まれた恵比寿ガーデンプレイス。ビール工場の一部は取壊されるまで展覧会などのイベントなどに使われるなどしており、そのくらいからアートのまちとしてのイメージが作られていった気がします

下町っぽい、親しみやすさが今もまちの魅力

駅から離れて歩いてみると分かるのですが、恵比寿は坂の多い、高低差の大きなまちでそうしたこともあり、それまではあまり大きな開発が行われてきませんでした。そのため、古い木造アパートなどが多く残されており、お隣の渋谷などに比べると比較的手頃で住宅が借りられたのです。


駅のすぐ脇にも階段が。駅周辺から渋谷川にかけては比較的平坦ですが、それ以外の方向には階段、坂がある場所が少なくありません


昭和末期から平成初期にかけては風呂無し、トイレ共同の木造アパートで賃料が3~4万円という物件も多く見かけましたが、さすがにその当時の物件はほぼすべて現存していません。恵比寿ガーデンプレイスができたことで建替えが促進され、まちは大きく変わったのです。ただ、場所によっては今でも一部にまだ拡幅されていない細い道も残されており、変化は今後も続くものと思われます。


手前の道幅が狭く、少し広くなって、奥に行くとまた狭くなっているのがお分かりいただけるでしょうか。元々はすべて狭く、それを建替えごとに少しずつ広げている地域で、恵比寿周辺にはこうした地域も一部残されています


また、戦後復興のために始まった盆踊り大会が今も駅前で開かれていたり、晩秋になるとべったら市が開かれたりと都心とは思えない風景が残されており、下町らしさは健在。歴史を知ってまちを見ると、しゃれた雰囲気だけのまちではないことが分かります。


最近では外国人も交じって盛り上がる盆踊り大会。毎年7月最後の週末に開かれています


かつてはえびすストア、恵比寿市場という2つの市場があり、安さ、新鮮さを競っていましたが、残念ながら、現存するのはえびすストアのみ。プロも買いに来る魚屋さん、八百屋さんが頑張っており、品揃えの良さはさすがです。


プロも買いに来ているえびすストア。レトロな店に交じり、最近は新しい、今風の店もできています

昭和の頃から飲食のバリエーションは豊富

今の恵比寿もラーメン屋さんが多いまちのひとつですが、これは昭和の頃から。当時は「夜中の二大ラーメン戦争」と言われ、恵比寿ラーメン、香月(かづき)の2店が競い合うように多くの人を集めていました。残念ながらいずれも現存していませんが、以降も多くの店が恵比寿に店を出すのはその記憶があるからかもしれません。


二大戦争時代は東京風の醤油ラーメンと、背油ちゃっちゃ系の2種類でしたが、今は多種の味が楽しめるようになりました


店舗でいえば1988年にはタレントショップが流行り出した頃で、恵比寿にも「のりピーハウス」なる店が進出。地元では「恵比寿が原宿になってしまう」と反対する声があったとか。面白いことにそれ以降、あちこちにタレントショップができましたが、不思議と恵比寿にはできませんでした。恵比寿は原宿とは異なる客層が集まるまちということなのかもしれません。


また、恵比寿には今では一般的になったおにぎり専門店が早い時期からあったなどちょっと変わった店があるのも昔から。今も世界各国の料理から寿司の名店、昔ながらの洋食にレトロな喫茶店、立ち食いソバまでと和洋、価格の上下を問わず、各種の飲食店が揃っています。 

東京都写真美術館、アトレ恵比寿などが誕生、人気のまちへ

さて、恵比寿ガーデンプレイス以降の動きも見ておきましょう。ホテルや飲食店街などに続き、1995(平成7)年には東京都写真美術館が誕生します。この美術館の影響でしょうか、恵比寿から代官山、中目黒にかけてはギャラリーが多く点在しており、写真展なども多く開かれています。


さらに1997(平成9)年にはアトレ恵比寿がオープン。2016年には同西館もオープンしています。また、2017年には商店街の中に新たな飲食店ビルが誕生、グルメ情報サイトなどで話題になりました。ここ何年かは住みたいまちランキングでの上昇ぶりはご存じの通りです。


駅ビルに駅周辺の商店街、多種多様な飲食店、便利な足回りに都心立地と人気の要因は多々ありますが、そのひとつに昔からの雰囲気が残されていることも。単におしゃれなだけではなく、気取らない暮らしやすさもある、ちょっと大人なまち。それが恵比寿というわけです。


商店街の中には太陽光発電で街灯の電気を賄うような先進的なところも。写真左手は2017年にできた飲食店ビル



参考サイト

最終更新日:2019年08月13日

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