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地形に関係あり! 鰻の名店があるまちの共通点

2019年08月19日

中川 寛子

地形に関係あり! 鰻の名店があるまちの共通点

低地、繁華街に立地

地形に関係あり! 鰻の名店があるまちの共通点

写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート

鰻がポピュラーな食べ物になったのは江戸時代

夏の食べ物といえばスイカにかき氷、そうめんなどいろいろありますが、その中でもこの時期、大枚をはたいてでも食べたいのが鰻でしょう。国内のうなぎ養殖の生産者団体日本養鰻漁業協同組合連合会によると、鰻は万葉の昔より国民に親しまれている食べ物のひとつとか。ただし、割いて現在のような形で食べるようになったのは江戸時代になってから。今のように一般的に食べられるようになったのも同時期からです。

浦和は昔、水郷地帯だった

さて、その鰻ですが、名店、老舗と言われる店が多く集まっているまちには共通点があることをご存じでしょうか。たとえば、さいたま市の浦和。このまちの駅前に「浦和うなこちゃん」という、アンパンマンの故やなせたかしさんによる鰻をアピールするためのキャラクター像が建てられているほどで、鰻、浦和で検索をかけると20数軒以上の店があることが分かります。


浦和駅前にある浦和うなこちゃんの像。鰻が浦和の名物になった由来についても書かれています


その理由は江戸時代、中山道の宿場町だった浦和近郊が沼地の多い水郷地帯だったため。鰻も含め、多種の川魚が獲れたのです。それを目当てに釣りに来る行楽客も多く、その人たちに地元で獲れた鰻を出したところ評判になり、中山道を往来する人も足を運ぶようになったのだとか。浦和から江戸・赤坂にあった紀州藩邸に鰻が献上されていたという文書も残されており、江戸時代から浦和といえば鰻と評判だったのです。


明治21年に創業したという浦和の満寿家(ますや)。メニューには鯉やどじょうといった川魚も載っていました


獲れた鰻をその場で食べるという、当時の様子をイメージさせてくれるのが南浦和にある老舗・小島屋です。駅から離れた場所にぽつんとあり、なぜ、ここに鰻屋がと思うのですが、同店は沼のほとりの高台に立地。目の前の眺めを楽しみながらそこで獲れた鰻を味わう店でした。当時の沼は調整池に変わっており、周辺には住宅が建て込んで今は店から水面を眺めることはできませんが、江戸時代には目と舌、両方が楽しめる店だったのです。

 

かつては鰻が獲れた藤右衛門川。小島屋があるのは左にある調整池のさらに左手の高台。地名が太田窪と聞けばどのような地形だったが推察できるというものです

川、沼などの低地の近くに鰻店 

埼玉県では蔵造りの建物で有名な川越も鰻店が多く、その理由も浦和同様に周辺に入間川や荒川、多数の河岸があり、そこで鯉やどじょう、そして鰻が獲れたからというもの。古い鰻店では鰻に加え、鯉のあらいなどの川魚料理を出すことが少なくありませんが、それは元々鰻だけではなく、そこで獲れた魚全般を供していたからです。


7月から8月にかけての1か月間、うなぎ祭りが催される成田も近くに印旛沼という一大漁場があったことから鰻が名物料理に。JR・京成の成田駅から成田山新勝寺までの参道沿いには数多くの鰻料理店が店頭で鰻を焼いていますが、あの風景は江戸時代以来のものというわけです。


成田山新勝寺への参道。鰻という看板も見えます


近寄ってみるとこんな風景が。店頭で鰻を割き、焼いているのです。おかげで辺り一帯、美味しそうな匂いがしています


つまり、鰻店とは元々、沼や川など鰻が獲れる低地の近くに立地していたのです。そう考えると東京では下町エリアに江戸時代創業などの老舗が多い理由も分かります。今では想像できませんが、かつては東京湾、隅田川などで鰻が獲れたのです。しかも「江戸前」鰻として珍重されていました。 


かつて隅田川や下町エリアに多数あった河川、水路では鰻や各種の川魚がたくさん獲れたそうです


今は江戸前と言う言葉は寿司とセットで使われるものと思われていますが、江戸前という言葉が登場した享保年間には蒲焼店が鰻のブランディングのために江戸前という言葉を使っていました。ちなみにその当時の江戸前とは隅田川や築地、本所、千住辺りで獲れたものを指し、それ以外は旅鰻(遠くから旅する=運ばれてきた鰻という意味)と言われていたのだとか。魚での江戸前は羽田から深川までだったことを考えると、それよりも狭い範囲が江戸前鰻の産地だったわけです。  

繁華な場所やお屋敷街にも立地

ところで、地形のほかにもうひとつ、鰻店立地に影響する要因があります。それが周辺環境です。浦和や川越、成田、下町エリアとここまで挙げた地域は宿場町や城下町、門前町など昔から人の多い、繁華な場所です。当時も今も鰻は安価な食べ物ではなく、それで商売をしていくためには多くの人が集まる場所でなければ商売が成りたたなかったというわけです。


浦和の、かつての中山道沿いの鰻店。反対側には古い酒屋もあり、古くから繁栄していた場所であることが分かります


住宅街に立地している場合はどのような人たちが住んでいるかがポイントになります。高額でも食べに来てくれる人、出前を取ってくれる人が住んでいるまちでなければ成り立たないからです。最近では様々な食べ物の出前が可能になっていますが、明治から昭和、平成にかけては来客にもてなしとして出前を頼むなら寿司か、鰻かなど選択肢が少ない時代がありました。鰻店が新規開業の少ない業種であることも含めて考えると、古くから開発された、それなりの所得のある人も住んでいる住宅地。それが鰻店立地に最適だったわけです。


ちなみに現在、日本で食べられている鰻はほとんどが養殖あるいは輸入物。そのため、店が沼や川の近くに立地する必要はないはずですが、多くの店は一度生まれた名物を大事に守り続けようと考えているようです。鰻の養殖地として知られる静岡県浜松市も現在の生産量は、全国2位のお隣愛知県の3分の1以下ですが、それでも多くの人は浜松といえば鰻と思うはず。地形と歴史が生んだブランドはかくも強いものなのです。


近年はファストフード店でも食べられるようになった鰻ですが、名店、老舗でなぜ、ここにこの店があるのかを考えながらいただくのも一興。まちの地形、歴史が分かるというものです。


●文中で紹介されたエリアの駅で物件を探す


参考サイト 

最終更新日:2019年08月19日

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