Yahoo!不動産おうちマガジン は家探しのヒントが満載の情報サイトです!
都心のお屋敷街では一戸建てではなく、低層の緑が豊富なマンションが中心になっています
徳川家、華族ゆかりの地、「目白近衛町」
JR山手線沿線の駅の中では地味なイメージのある目白ですが、実は知る人ぞ知るお屋敷街が広がるエリアです。といっても新宿区のことですから、一戸建てではなく低層のマンションが中心。そこに豊富な緑が配された街並みが広がっているのです。
特に注目したいのは駅の西側。学習院大学などの反対側で、こちら側は駅から少し離れると新宿区に入ります。
目白駅前。学習院大学、日本女子大学などがあるのは山手線内側。今回ご紹介するのは山手線外側になります
ここに知る人ぞ知る、お屋敷街があります。正式な地名ではありませんが、かつてここにあったお屋敷にちなみ、目白近衛町と呼ばれることもある一角です。近衛家といえば平安時代の藤原氏の流れを汲む公家のうちでも五摂家筆頭という格のある家で、今に近いところでは戦前に3回(!)も総理大臣を務めた近衛文麿氏が有名でしょう。
目白近衛町と呼ばれることもある一角。近衛町という名前を冠した低層のマンションがいくつもあります。中央にあるのが近衛邸にあったというケヤキ
その近衛家があったあたりには今も屋敷の玄関のあたりにあったというケヤキが残されており、周辺には低層で高額なマンションが並んでいます。
道の真ん中に円形に残された土地にケヤキがあり、その根元にはこんな掲示がありました
近くには昭和3年に建設され、現在は東京都選定歴史的建造物となっている旧学習院昭和寮(現在は企業所有)やフランク・ロイド・ライトの弟子の建築家・遠藤新による目白ヶ丘教会などもあり、緑の多い落ち着いた雰囲気の住宅街です。
右側が目白ヶ丘教会。道の突き当りに見えているのが旧学習院昭和寮です。外から見ただけでも風格のある、歴史を感じさせる建物です
さらに近くには江戸時代に徳川将軍家の鷹狩、猪狩などに使われた狩猟場で、一般の人の立ち入りが禁じられた「おとめ山(御留山、御禁止山)」と呼ばれた一画があり、その後、華族の庭園を経て、現在は新宿区の「おとめ山公園」に。かつては秘境(!)とすら呼ばれた場所で、新宿区=都会というイメージとは異なる自然の豊かさに圧倒されます。
おとめ山公園内の池。おとめ山公園も近衛邸のケヤキも地元の人たちの声で残されたものだそうです
その昔は「おとめ山公園」から目白通りを挟んだ豊島区側にも徳川家の所領があったそうで、現在も徳川黎明会(尾張徳川家伝来の美術品・文献資料等の収集・保管や一般公開などを行っている公益財団法人)、徳川ビレッジ(徳川義親侯爵の本邸敷地を利用した賃貸住宅エリア)などがあり、やはり知る人ぞ知るお屋敷街です。
豊島区になりますが、右手の鬱蒼とした緑のエリアが徳川ビレッジと呼ばれる住宅エリア。その中には徳川黎明会の洋館もあります
市谷から神楽坂にかけての高台にも注目
もうひとつ、広い範囲でお屋敷街が広がるのが、市ヶ谷駅と外堀を挟んで向かい側にある防衛省の北側に広がる台地です。外堀通り沿いにある市谷亀岡八幡宮に上ってみると分かるのですが、ここは外堀通りから10m以上も高くなっています。防衛省が尾張徳川家のお屋敷だったことは有名ですが、その背後もまた、江戸時代以降には旗本などが、明治以降には華族と言われた人達が屋敷を構えてきた土地で高台なのです。
八幡宮の境内から外堀通り方面を見下ろしたところ。高低差がお分かりいただけるでしょう
高台になっているのは、具体的には防衛省から北側、神楽坂辺りまで。歩いてみると低層で戸数のそれほど多くないマンションの間に古い日本家屋、洋館などもわずかに残されており、緑が豊かで非常に落ち着いた街並みです。
多くの住宅はマンションに建替えられていますが、ところどころに古い建物を見かけます
たとえば防衛省のすぐ裏手にあるのが市谷加賀町。町名の通り、石川県の加賀藩に由来があった土地で、かつては都城島津家や宇佐神宮宮司のお屋敷がありました。現在も裏千家の東京道場があり、周囲には茶道具店があるなど他のまちでは見かけないようなものがあります。
加賀町の一画。裏千家の東京道場周辺には茶道具店などがあり、目白には骨董品店を多く見かけました。こうした生活必需品ではない品を売る店が成り立っているのがお屋敷街らしいところです
このエリアには民俗学者として有名な柳田国男の旧居跡があったり、日本で初めてヨーロッパの貴族と結婚したクーデンホーフ光子の居住地があったり、坂の名称が旗本屋敷にちなむなどの由来を記した掲示も点在しています。
柳田国男旧居跡。跡地には大妻女子大学の寮が建っていました
ちなみにこの辺りには町域が小さく、歴史を感じさせる昔ながらの町名のまちがたくさんあります。新宿区は1947年に当時の牛込区、四谷区、淀橋区が合併して生まれているのですが、ここで説明した高台エリアは牛込区にあたり、他2区に比べると古くから住宅地として開発されてきました。そのため、まちの歴史に誇りを持つ人たちが多かったのでしょう、一部を除いては昔ながらの町名が残されているのです。こうした自分のまちに対する愛着もお屋敷街ならでは。
市谷加賀町だけでなく、市谷仲之町、市谷砂土原町その他、このエリアには知る人ぞ知るまちがありますから、ぜひ、一度住宅、町名を見ながら歩いてみていただきたいもの。新宿のイメージが変わるはず。都営新宿線と都営大江戸線の間と考えると分かりやすいでしょう。
最終更新日:2019年11月26日
中川 寛子
住まいに関する記事、講演などを手がけて30数年。首都圏のほぼ全駅を踏破しているヒマ人。「解決!空き家問題」「この街に住んではいけない」など著書多数。日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会会員。
キーワードから探す