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落語の世界を体験! 江戸時代の街並みを歩いてみた

2017年06月26日

夫婦漫才

落語の世界を体験! 江戸時代の街並みを歩いてみた

西村まさゆきのちょっと気になる7

落語の世界を体験! 江戸時代の街並みを歩いてみた

深川江戸資料館で170年前の江戸の人たちの暮らしを知るシリーズ後半。落語に出てくる気になる言葉を解き明かす。

前回までの「へっつい」を探しに行ったあらすじ

江戸時代の長屋の様子が丸ごと再現されている「深川江戸資料館」、館内の各家のどこに入っても構わないし、道具に実際触れてみるのもOK。


そんな「深川江戸資料館」に、落語に登場する家具調度品を実際に見に行きました。(前回の話は「長屋住人はミニマリスト 江戸時代の生活を覗き見してきた」)

井戸はあるけれど……

──長屋の中だけじゃなくて、インフラもリアルですね。


町の井戸やゴミ捨て場、トイレ、風呂などの共用部分も再現してある


「こちら、ゴミ捨て場ですね」


共同のゴミ捨て場。リサイクルの仕組みができあがっていたので、ゴミ捨て場に捨てられるゴミは少なかった


──これは瀬戸物の破片ばっかりですね。


「そうですね、昔はあんまりゴミが出なかったんですよ。紙くずは、屑屋さんが買っていって、リサイクルしていましたし、そもそも食材を買うときに包装という概念がないですから、そのまま買ってくる。トレーやビニール袋みたいなゴミがないんですよね」


──屑屋さん、落語によく出てきます。『井戸の茶碗』(※1)なんかだと、紙くずだけじゃなくて、日用品の下取りもしていたみたいですね


(※1)『井戸の茶碗』

正直者の屑屋、清兵衛は、長屋に住む浪人、千代田卜斎に古い仏像を下取りさせられる。目利きは得意でなかったものの、清兵衛はしぶしぶ仏像を引き取ることにしたが、折よく、その仏像を細川家家臣の高木佐久左衛門が買い取ることになった。しかし、仏像の台座からなんと金五十両がポロリと出てきた。正直な佐久左衛門は、清兵衛に、この五十両を元の持ち主に返してまいれと言う。しかし、卜斎は、売ってしまった仏像から出てきたものはもう自分のものではないから受け取らないというのだが……。


──井戸もありますね。井戸は共同の井戸なのですね。


長屋の共同井戸


「この井戸、実は塩水が混ざっているのですよ」


──え? 水じゃない? 塩水の井戸なんですか?


「隅田川の東側は上水が来てなかったのですよ。だから、井戸を掘るのですが、元々浅瀬や干潟だったような場所を埋め立てた埋立地ですから、塩水が出る場所が多かったんです」


──じゃあこの井戸は?


「飲み水に使わないのであれば、それはそれで色々使いみちはあるのです」


──飲み水はもしかして水売りが来ていた?


「そうですね、日本橋の方から水を船で運んでそれを買っていたのですね」


──江戸時代、江戸の町には人が100万人は住んでいたって言われていますが、その全部ではないにせよ、本所や深川あたりは、住人が飲むための水を船で運んでいたというのはすごいですねえ……。

船宿は何でも屋だった

船に乗せる荷物が玄関に並ぶ「船宿」


──この「御船宿」というのは、船宿ですよね?


「そうですね、升田屋と、相模屋と、二軒ございますね」


──船宿というのは落語にも本当によく出てきますよね、例えば『船徳』(※2)なんかがパッと思い浮かびますね。


(※2)『船徳』

訳あって勘当された若旦那の徳兵衛は、大川端にある船宿に身を寄せる。しかし、徳兵衛は日がな一日何もすることがなく退屈なので、船頭をやりたいといい出す。しぶしぶ承知する親方であったが、徳兵衛は非力で、船を出すこともままならない。


──落語を聞いていると、船宿は船を出す以外にも色々やっていますよね。料亭みたいなことをやったり、荷物も運んだり。


「江戸の町は縱橫に水路が張り巡らされていましたから、今でいうタクシーのような感じで使っていたみたいですね。で、船宿には待合室みたいなものがあって、ちょっとした料理やお酒が提供されていたのです」


──タクシー会社と料亭を兼ね備えたような業態って今は存在しないですよね。


「そうですね」


──『船徳』を現代に置き換えると、金持ちのバカ息子が放とうのしすぎで勘当されて、小さいタクシー会社の運転手になろうとして、一悶着あるみたいな話になるのかな。

路上でなんでも売っていた

──しかし、歩いてみてみると、路上販売のものが本当に多いですね。手ぬぐい売りなんて居たのですね。河内さん(同行の編集担当)、担いでみてくださいよ。


手ぬぐい売りのさおをかついでみると意外と軽い


河内さん「意外と軽いですね」


──手ぬぐいですからね。軽いですよね。「 棒手振り(ぼてふり)」っていうやつですね。さっき見たむき身売り(貝のむき身を行商していた商人)も、もちろんこのようなさおを使った 棒手振りだったんでしょうね。


「さっきも話がちょっと出ましたけれど、昔はなんでもこうやって売りに来ていたんですね、かぼちゃに限らず、野菜、魚、日用品……」


──たしか、志ん生(※3)は、若い頃、落語だけじゃ食えなかったから納豆売りをやっていたと言ってますね。つまり、昭和時代の初期まではこういった 棒手振りの文化が残っていたわけです。納豆や豆腐なんかは、戦後しばらくまでありましたもんね。


(※3)志ん生

“古今亭志ん生”は落語家の名跡、ここで言う志ん生は五代目の志ん生。五代目志ん生は、本名を美濃部孝蔵、1890年東京市生まれ、昭和の大名人と呼ばれ、戦後の江戸落語界を代表する落語家といわれる。酔ったまま高座に上がり、そのまま寝込んでしまい、客に「寝かせといてやれ」と言われたなど、豪放磊落なエピソードが多く、その型破りな落語は人々に愛された。十代目金原亭馬生、三代目古今亭志ん朝は子供、女優・池波志乃は孫娘にあたる。


──こっちにはそば屋さんがありますね。


そば屋も 棒手振りスタイル。こちらは重そう。


──二八ってのが「そば」ってことかな? 屋号がイカリ屋ですね。そばの値段が十六文で、二かける八、二八の十六で二八ってのは『時そば』(※4)なんかで有名だと思いますけど、そばの屋台が実際にこういう形だというのはなかなか分からないですよね。昔の時代劇を見てたらたまに出てきますけど。


(※4)『時そば』

そば代の十六文を、時間を聞くふりをして一文ごまかす男を見た与太郎。自分も一文ごまかしてやろうと意気込むが……。


──『時そば』で気になっていることがあって、客に何ができるか聞かれたそば屋が「ハナマキにシッポク」って言うんですね。これ、一体何なんだろうって。いま、そば屋に行って、ハナマキそばとか、シッポクソそばなんて見たことないですよ。


「ハナマキというのは、花巻ですね、これは、海苔をちらしたそばですね。シッポクは、卓袱と書くんでしょうか? これはちくわ、かまぼこなんかが入ったちょっと豪華なそばです」


──『時そば』で、そばの代金を一文ごまかす最初の男は「おぉ、シッポクアツくしてくれ!」って頼んで「ちくわが分厚く切ってある、最近のはちくわの代わりに麸が入ってていけねえ」って褒めるんですけれど、江戸時代は、麸よりちくわの方が高級だったんだなって、そこで分かるんです


──こっちでは、いなり寿司売ってますね。というか、いなり寿司、でかいですね!


江戸時代のすしは今より大きかった。こぶし大。


「いなり寿司に限らずですが、江戸時代の寿司は基本的に今より大きかったと言われていますね」


──ほんとにでかい、こぶしぐらいありますね……。ところで寿司って、実は落語ではあんまり出てこないんです。


河内さん「そうなんですか?」


──出ないことはないけれど、寿司がストーリーの中心になっている落語って……ちょっとないです。『寿司屋水滸伝』(※5)なんてのがありますけど、これは柳家喬太郎(※6)の新作落語ですから、江戸時代からあったものではない。『時そば』や『そば清』(※7)みたいな噺がある「そば」に比べると、寿司は存在感が薄い。


(※5)『寿司屋水滸伝』

洋食の修行をしてきた男が、父の命令で寿司屋を経営する。しかし、寿司職人が次々と辞め、ついに自分ひとりになってしまった。洋食の心得しかない男だが、何とか寿司を客に出す。しかし、酢飯を炒飯で作ってしまい、客にしかられる……。

(※6)柳家喬太郎

1963年生まれの落語家。1989年柳家さん喬に入門し、「柳家さん坊」となる。1993年真打ち昇進し、「柳家喬太郎」と改名。

(※7)『そば清』

そば屋で、そばを大量に食べる男を見かけた客連中。その男がもりそば20枚を食べられるかどうかを賭けるが、男は難なく平らげてしまう。その男は「そばっ食いの清兵衛」として、そば大食いで有名な男だった。賭けに負け、悔しがった客連中は、清兵衛にもりそば50枚を食べられるかどうか持ちかけるが、清兵衛は自信がゆらぎ「日を改めて」と言い出す……。


──落語に寿司があまり出てこない。これは一体なぜなのか、考えてみると、寿司というのはわりと新しい食べ物なんですね、特に、米を発酵させず、酢飯に刺し身をのせた握り寿司は、19世紀に入ってから江戸で大流行した。逆に、麺状のそば……昔は「そばきり」って言われてましたけど、それは、江戸時代の初期から食べられていたんです。その差が落語に登場する回数につながっているのかな? と、あくまでぼくの想像ですけども。

長屋に荷物が少ない理由は?

火の見櫓。とても大きい。


──火の見櫓(ひのみやぐら)でかいですねー。ここだけ完全に屋外のような気がします。


「江戸の町はとにかく火事が多かったんです。それこそ、“火事と喧嘩は江戸の華”なんて言葉があるぐらい火事が多かった、火の見櫓も各地に建てられて、番屋に人が交替で詰めて警戒に当たっていました」


──これ、上に半鐘が付いてて、火事が起きたら、半鐘を鳴らすんですね。早鐘っていうのかな。消防車が火災現場に急行するさいのサイレン音は「ウーカンカンカン」って鳴りますけど、カンカンカンの部分は、あれは早鐘の名残なのかな? 分かりませんけれど。


「さきほど見てもらった、長屋ですけれども、持ち物が非常に少なかったと思います。これは、江戸は火災が非常に多くて、長屋に住んでる人も数年で次々転居してたんですね。だから、持ち物が少ないんです」


長屋の住人の持ち物が少ない理由は、当時の江戸では、数年に一度火事が発生していたことにも由来する


──持ち物が少ないってのは、もし、火事になっても、身一つで逃げられるし、引っ越しも楽ですよね。長屋を引っ越しする噺は落語に何個かあって『粗忽の釘』(※8)とか『お化け長屋』(※9)がそうですね。江戸の人はわりと引っ越しをよくしてたみたいですね。


(※8)『粗忽の釘』

新しい長屋に引っ越してきた粗忽者の男、女房にほうきをかける釘を壁に打ってくれと頼まれるが、瓦釘を目一杯打ち込んでしまう。確実に隣の部屋に飛び出ているので謝罪に向かうが……。

(※9)『お化け長屋』

長屋に空き部屋が出た。しかし、ここが埋まってしまうと、大家が家賃を値上げしかねない。そこで、店子の杢兵衛が、源兵衛と相談し、この部屋を借りに来る客に怪談話をし、お化けが出るということにして、いちいち追い払うことに。最初は上手くいっていたものの、お化けをまったく怖がらない職人がやってくる。

深川佐賀町の町並みを完全再現

当時の地図も展示されている


──ところで、この町並みは、どこかモデルはあるんですか?


「今の江東区佐賀町一丁目、二丁目あたりにあたる深川佐賀町を参考に再現してますね。昔の佐賀町の絵図が残っているんです」


町の詳細な地図


──三井の貸店、貸蔵ってありますね


「これは、三井が持っていた建物で、それを賃貸に出して、その賃貸物件を借りた店や蔵があったみたいですね」


──ほ~、まさに三井不動産のようですね。このころからこういう商売していたんですね……。なるほど。

昔の人はどうやって暮らしていたのか?

まったくもって、便利な世の中になった。


蛇口をひねれば水が出てくる。スイッチを押せばすぐに火が使える。

随分前に買った食材も腐らすことなく保存もできるし、なんなら料理もほとんどしなくて良い。


家にいながら買い物したり、他人とおしゃべりしたり。あるいは、何百キロも離れた場所に数時間で行ったり帰ってきたりもできる。

まさに当時は魔法使いくらいしか実現できなかったような世の中で我々は生きている。


しかし、いまからたった170年ほど前は、飲み水を船で運んで、4畳半一間で親子三人が寝起きしていたのだ。

そういう無数の生活が積み重ねられてきて、その上に今がある。


たまにはこういった展示施設に行って昔の生活を偲ぶのも悪くはない。


(西村まさゆき)


取材協力

最終更新日:2018年08月31日

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