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全長1.2キロメートルの「白髭東アパート」を見に行く・予習編

2018年05月14日

夫婦漫才

全長1.2キロメートルの「白髭東アパート」を見に行く・予習編

西村まさゆきのちょっと気になる

全長1.2キロメートルの「白髭東アパート」を見に行く・予習編

隅田川沿いにそびえる1.2メートルの住居兼防火壁

白髭東アパートは、なぜ1.2 キロメートルもあるのか?

東京都墨田区の隅田川沿いにある「白髭(しらひげ)東アパート」は、13階建ての巨大ビルが1号棟から18号棟まで南北に連なり、その長さは1.2キロメートルもある。ふだん我々が使う「アパート」という言葉からイメージされるものとはほど遠い。

この、超巨大な「アパート」を鑑賞するツアーが催されたので行ってきた。

団地鑑賞の専門家と、都市防災の専門家の視点

さて、鑑賞ツアー当日、アパートの実物を見に行く前に、事前の予習も兼ねて、白髭東アパートとはどんなものなのか? 団地鑑賞の専門家・大山顕さんと、防災対策の専門家で都市計画家・村尾修東北大学教授による、スライドを交えてのトークが行われた。


左から、村尾修教授、大山顕さん


団地鑑賞の専門家である大山さん、都市防災を専門としている村尾教授の解説から、この「白髭東アパート」がどんなものかをざっと説明してみたい。


大山さんは「東京の人は、覚悟して暮らしている」という。それは、どんな「覚悟」かというと「いつか、必ず大きな地震が起きる」という覚悟だという。

先の東日本大震災では、さいわい大きな火災は起きなかったものの、東京でも死傷者の被害が出た。

東京に住む人たちは「大きな地震が来て、津波や火災が発生するかもしれない」という意識を、東日本大震災以降、より強くしたといえる。


一方、土木構造物は、常に災害を意識して造られてきたという歴史がある。


過去、東京は何度か焼け野原になるという経験をした。まず、江戸時代には、何度も大火に襲われ、そのたびに街が造り直されている。明治維新を経て、東京となってからは、関東大震災。そして、太平洋戦争でも街が焼け野原になった。

太平洋戦争の火災は、天災によるものではなかったけれど、紙と木でできた東京の家屋は、米軍の投下する焼夷弾にはあまりにも無力だった。

大山さんは「建築物は、建築家が作者ともいえるが、土木構造物は、災害が作者といっても過言ではない」と指摘する。


大きな道路や橋といった土木構造物は、大きな災害に備えるために造られてきた。吾妻橋や、現在は表参道ヒルズなどになった同潤会アパートは関東大震災後の帝都復興計画の中で、また銀座シネパトスのあった三原橋などは戦後の復興事業で造られたものだ。


現在は取り壊されたシネパトス


また、建物だけではなく、都市計画にも災害の影響は及ぶ。たとえば、江東デルタ地帯は、1960年代には、そのまんなかに巨大な十字の防火緑地帯を造る構想まであった。

十字ベルト構想は、実行されることは無かったのだが、その名残として、この十字ベルトが構想された場所の幾つかには、公園や団地などが造られている。


十字ベルト構想


村尾教授「例えば橋も、昔は木でできていたんですが、火事になると燃えて落ちてしまう。それでは人が逃げられないので、鉄橋がかけられ、コンクリートも使われるようになってきた。公園も、人が逃げられる場所として、錦糸公園や隅田公園などが整備された。そういった形で、災害の後の復興により街がデザインされていった、というわけです」


白髭東アパートは、なぜ1.2キロメートルもあるのか。それは、建物まるごと、防火壁として役立つように設計され、建てられたからだ。白髭東アパートは、災害がデザインした土木構造物ともいえる。

白髭東アパートは、東京都が主体となって、1975年(昭和50年)に着工し、1982年(昭和57年)に竣工した。したがって、一部を除いて、そのほとんどが都営アパートとなっている。


巨大防火壁、白髭東アパート


大山さんはこう指摘する。「江戸時代だと、建物は紙と木で出来ていて、火災になるとまず燃料になってしまっていたんですね。しかし、それが180度変わっちゃった。まさに、コンクリートでできた団地が、火災の延焼を食い止める壁になった。これってすごく興味深いことですよね、コンクリートって、偉大だなと」


こういった巨大な団地が、なにか他の目的を持って造られている例はほかにもあり、敷地の横の線路を走る電車の音の防音壁となっている埼玉県の川口市の川口芝園団地、防波堤としての役割もあった長崎県の軍艦島(端島)の団地などがあるという。大山さんはそれに、白髭東アパートを加えて「日本三大防壁団地」と、名付けている。

国によって違う防災対策に対する考え方

東日本大震災以降、東北各地に巨大な防潮堤が造られつつある。これも、災害が影響を与えた景観のひとつといえるかもしれない。


明治、昭和と、いくどとなく津波に襲われた岩手県の田老町(現在は宮古市)では、津波被害を教訓として20世紀半ばには長大で,高さ海抜10メートルの防潮堤が町と海の間に造られた。


同じく、たびたび津波に襲われたハワイのヒロでは、高い防潮堤を作っても、それ以上の津波が来たら無意味だということで、オープンスペースのみを作り、各自が対応するということになった。

村尾教授によると、アメリカという国は、多様な人種が住んでおり、合意形成がなかなか難しい面がある。これは、災害などに対する国民性や、社会の構造が影響しているからだという。


村尾教授は、さらに興味深い話を聞かせてくれた。


「1995年に、神戸で地震が起きましたが、倒壊した建物から助け出された人に『建物の耐震化をすすめましょう』というと、ほとんどの人が『そうですね』と答えるんです。一方、1999年にトルコでも大きな地震が起きたんですが、この地震でも建物がたくさん倒壊した。で、助かった人もいるんですが、そういったトルコの人たちに、『助かりましたね』というと『アラーの神の思し召しだ』というんです、神様が自分を生かしてくれたと。『今度同じ目にあわないよう、建物の耐震化をしましょう』というと『そう思わない、自分はこのままだ、もし、アラーの神が生かすなら自分は生きるだろう』と、そういうふうに考えてるひともいるんです」


このように防災に対する考え方は、社会によって違うため、それぞれに応じた防災対策を考えていかなくてはならない。


日本は、防災のための設備投資を進めてきたのは確かだ。


村尾教授は「とにかく、防災のための再開発というのは、本当に珍しくて、防災にお金をかけられるという国、社会は、数少ないです。ある程度経済的な基盤ができて、社会の安定があって、初めて防災というものに投資できる社会ができます、そんななかで、白髭東アパートは、奇跡的にできた壁なんだな、ということをご理解いただければと思います」とまとめた。


というわけで、白髭東アパートがどんな存在なのかはざっくりご理解いただけたかと思う。これほどの規模の防火壁としての団地を造る。というのは、並大抵のことではないのだ。


次回は、以上の予備知識をもって、実際に白髭東アパートを見に行ってみたい。


(取材・文:西村まさゆき)


【取材協力】

最終更新日:2018年08月30日

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